源さんが行く117
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
幕府の東蝦夷地直轄の影響を受けた大畑の記録その七です。
寛政十一年(1799)の記録・其の七
四月十一日、和田兵太夫、岡田佐市、田口久治郎が恐山を経由して安渡へ出て脇野沢から渡海した。
ところで、帆柱用には大安寺の杉六尺、七尺囲のものを八本、三十六両。その他にも関根から杉六本、十五両二歩で買い入れた。伐採や運搬の工賃は五十八貫六百文。建屋の切り組み用材の値段は入札で決めるべきだが、新谷と菊池の両家だけなので、入札ではなく話し合いで価格を決めた。
四月四日には官船の礼常丸と義温丸の建造が完了した。
四月八日には建物の切り組み作業も終了。
さらに官船の孝興丸、忠教丸が五月二十二日に完成し、磐城(いわき、地名)の船大工の三郎組も出立した。
また、買い入れた天当船の仁徳丸、第政丸、温広丸、信厚丸、智整丸は、四月十日に出航した。
大工、木挽、鍛冶、桶屋、臼彫、塩煎、炭焼、柾挽、杣夫、漁労稼ぎ方、水夫など総勢百五十人。
大船頭は内海弁五郎。彼らの承諾書へ印を押す際、幕臣が読み上げを耳にしたが、奥戸《オクト》、大平《オオヒラ》、和三兵衛《ワサンベイ》、大畑《オオバタ》などと読んでいた。
大畑という村は、肥後(熊本)にも周防(山口県)にもあるらしい。
へつづく
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