こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く114

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

幕府の東蝦夷地直轄の影響を受けた大畑の記録その四です。

 

寛政十一年(1799)の記録・其の四

 

 心 得 触 れ

「御証文 馬二匹。

右の御用で大畑から海辺通り、脇野沢までも、すぐにも我らが出向くはずであったが、大畑からの御用船の出帆を見届けてから出立することに変更した。

右、船にて蝦夷地へ渡海致す予定だが、未だ出立の日が決めがたく、いずれそのうちに先触れを遣わすことになろう。

心得のため前もって触れおく。

三月二十四日  小林卯十郎、最上徳内

 脇野沢から川内まで右海辺名主・年寄  中(皆々へ)」

 

「御証文 馬一匹。

右は先達にして、心得触れに差し遣わす。

今日、幕府御用船が蝦夷地へ出航したため、我らも大畑を出立する。

近々、当地へ出向くことになるゆえ先触れである。

特に宿泊する村においてはこのことを心得、委細を聞きおくように。

以上  三月二十七日  小林卯十郎、最上徳内

 大畑出立 奥戸泊 右村々名主・庄屋  中」

 

最上徳内

 徳内は源助より八歳ぐらい若い。山形県村山市の出身。

農家に生まれ、学問を好み、二十七歳のときに江戸に出て本多利明に師事し、天文学、数学測量学を学んだ。

天明五年(1785)に幕府役人の青島俊蔵の従者としてクナシリ島に渡りアイヌやロシア人に接触し、千島事情を調べ、ロシア語も学んだ。

 1798年には千島探検中の近藤重蔵とクナシリ島で合流し、エトロフ島に「大日本恵登呂府」の標識を建てるなど、ロシアの南下にさらされていた蝦夷・カラフト・千島の各地を全部で九回も訪れた。

その間に「蝦夷草子」、「蝦夷草子」などを執筆。

蝦夷草子」には蝦夷地図、クナシリ島図、エトロフ島図、カラフト島図、北方周辺図の五枚の北方図を付図。蝦夷・千島等の風俗なども含めた北方事情の紹介にも努めた。

 しかし、蝦夷地を秘密にしておきたい松前藩最上徳内に危害を加えることを幾度も試みた。晩年、シーボルトに会い、豊富な北方の知識を提供。シーボルトは北方資料を紹介すると共に、徳内を「十八世紀における最も傑出した日本の探検家」とたたえている。八十二歳・江戸で没した。

【原始謾筆風土年表・資料より】

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 へつづく

 

 

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