源さんが行く112
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
今回も源さんによる幕府の東蝦夷地直轄の影響を受けた大畑の記録を紹介していきます。
寛政十一年(1799)の記録・其の弐
三月八、九日に到着したのは、幕府役人の佐藤茂兵衛、渡辺大之助、岡田佐市、田口久治郎、和田兵太夫、根津清左衛門、河野権治郎、正田周平の方々である。
蝦夷地に運ぶ建屋(十間に三間)五棟分の材木の切り込み、七十石の五大力船*1四艘の建造が必要である。事は急を要する。雪を掘って急ぎ作業に取りかかる。
「このたびの蝦夷地の御用につき、わが大畑において建屋五棟分の木材の切り込みの発注をいただきました。
出来次第、それらの用材、その他を蝦夷地に運搬する船舶の御用も仰せつかり、誠に有り難く存じております。
材木の切り込みは必ずや日限を厳守し、当湊から積み船をそろえ、いささかの差し障りもないよう努めたいと存じます。
さて、船員確保のため当湊の大小の船の出航を差し止めた件ですが、当大畑は津軽や青森から米穀を買い入れて用いており、そういう土地柄ゆえ、すべての船の出航を差し止められては、あらゆる階層の者が飯米に困り難儀致します。
当面、御用のない船については、出航のご許可をいただきました。青森方面からやってくる船舶についても、御領主さまから同様の御命令が必要かと存じます。
すべての湊で滞船、出航差し止めと伺っていますので、もしも大畑より差し向けた船々が青森において荷積みしても、出航差し止めということになっては困ります。そのため別紙書面においてお願いした次第です。
米穀を取り扱う者たちの窮状をもっともな事とご理解いただき、当大畑より今後、かの地へ向かう船舶については幕府の御鑑札をいただき、もしも出航差し止めという事態が起きた際は、この御鑑札を青森ご勤務の幕府御役人、水越源兵衛様、藤本徳三郎様、岡田第五郎様へ申し出れば、出航を御命じ下さるとの御取り計らいをいただきました。
『必要なだけ船舶を差し向けよ』との仰せをいただき、この上もなく有り難き幸せと感じる次第です。
このような仰せをいただいたからには、この度の御用の件、いささかの差し障りもないよう精勤致します。
万が一、差し障りが生じた場合には、どのような仰せに対しても、なんら言い立てることなく御引き受け致すつもりです。
以上、御誓い申しあげます。
奥州北郡南部問屋 (新谷)荘助 (菊池)与左衛門
大畑検断*2 (竹内)伝右衛門
寛政十一年三月十二日
右、相違有りません。
へ つづく
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