こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く11

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 

原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

天明六年(1786年)の記録・其の壱

村林源助 39歳・宿老

 

 正月元旦に皆既日食

平らな容器に水を入れて写すと、八分ほどの日蝕が見えた。

北海道では完全な皆既日食

蝦夷人たちは大慌てだったとか。

 

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■春、江戸で大火事

被災者に米一俵、金一両、精米三合、銀一匁が配られた。

江戸市中の大商人の中には蔵に米穀を巨万と蓄えている者がいて、

彼らに対し徒党を組んで狼藉*1を働く者が出た。

 

夏に関東で洪水が発生した。

凶作の年となって、また飢饉の様相が出てきた。

 

南部藩勘定台の堀江勇右衛門が山廻り*2に来た。

 

九月七日、突然雨が激しく降った。

釜野沢の奥は、数年前に崩れて改修したばかりだったが、数町にわたって立木の梢がわずかに見えるくらいまで、土石流がたまり、大きな沼が決壊したように、洪水が大畑の町なかに押し寄せた。

そのため、新町から役所前まで舟で移動しなければならなかった。

下新町の番屋が流れた。

大石に繋いであった七、八十石の船が、古道川の辺りまで、押し上げられた。

小目名の川原の畠には、四、五尺もある石が流されてきた。

 

囲碁初段の盛岡の隠士、駒峯治郎兵衛がしばらくの間、

大畑に滞在。

 

長さ八尺、円周五尺の松十本を松前藩に一両で売り渡した。

大筒に使用するとのこと。

 

大坂の和泉屋伝右衛門*3の夥計*4が遠路やってきて、八判*5を持参し、伊勢屋への案内を願いでた。

伊勢屋三郎治は津軽の山仕事に出向いていて不在だったが、書記人*6を添えて、家の状況、屋根のひさしや破風の零落ぶりを見てもらった。

お陰様で何事もなく終わった。

 

代官所の料紙(用紙)は端を緑色に染めている。

これは幕府の用紙が赤く染めてあるのを真似たものだ。

 

大畑の湊が、廻船の停泊地になった。

二艘ずつの荷積みを行う。

 

 飢饉があり、台風があり、地震があり…

昔から日本というのはそういう国なんですよね。

そのたびに立ち上がっていく。

強いな日本人は!

 

次回

源さんが行く12 - こめいがねんど

へつづく

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

 

 

いか寿司 イカ寿司 いかの寿司 3尾入

いか寿司 イカ寿司 いかの寿司 3尾入

 

 

 

*1:ろうぜき=暴挙

*2:山林監察

*3:古くから大畑と取引があった木綿問屋

*4:かけい=手代

*5:借金の証文

*6:ものかき