こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く109

 

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どうも、しょうさんの息子のゲンです。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

源さんによる幕府の東蝦夷地直轄記録(7)になります。

 

寛政十一年(1799)の記録・東蝦夷地が幕府直轄地(上知)と決定・其の七

■「このたびは蝦夷地の内 御用地に相成り候場所に 御領中 海辺村方へ鯡、昆布 稼ぎ方相越候。右稼ぎ方に付 これまで船役銭など松前家へ相収め候由の処 御用地へ入り込み 相稼ぎ候分はその儀に及ばず。然れども却って御用地の事ゆえ稼ぎ方等も相成り間敷きかななどと遠慮致し候て その渡世にも相離れ候者 これ有るべきにつき 右等の心得違い これ無きよう 海辺付き之村々へ洩らさぬよう御申し触れ これ有るよう存じ候。 これに依り 相談に及び置き候。

 

 四月   岩間哲蔵  水越源兵衛

 南部 津軽 海辺村役人中」

(意訳)このたび北海道の幕府の御用地となった請負場所へご領内海辺村々の人々がニシン・昆布の出稼ぎ人として出向く時に課せられる船役銭等は、これまで松前藩に納めていたが、幕府御用地となったためその必要はない。

ところで、幕府御用地となったためこれらの仕事が無くなるのではと心配し、仕事を変えたいとする向きもあるようだが、その必要のないことを周知させたい。

海辺の出稼ぎ希望者全員にその旨を伝えよ。

なお、これらの件に関して幕府役人が相談を受け付けている。

 岩間哲蔵、水越源兵衛(幕府役人)

 南部 津軽海辺の村役へ

 

■東蝦夷地に、次のような高札が立てられた。

一、幕府御用地に立ち入る各種の職人、人足等はもちろん、東蝦夷地の湊に停泊する御用船及び風待ちのためこの湾に留まる商船はすぐに役所に届け出るべきこと。

一、当湊の職人や人足等は、役所の外で蝦夷人からどんなに小さな物であろうと直接売買してはならない。もしも心得違いの者があれば処罰する。

一、異端の宗教になびく者、異国の人間と親しくする者は、重罪となる。人を殺したものは、全員死罪となる。人を傷つけたり、盗みを犯した者は、それぞれのケースに応じ重罪となる。

一、このたび幕府御用地では鉄銭を通用させることとした。

  基準は次の通り。

  一歩*1に銭一貫二百文 売

  一歩に銭一貫四百文 買

  玄米一升は五十六文、白米一升は六十四文

  

以上が源さんによる幕府の東蝦夷地直轄記録になります。

いろいろと当時のアイヌの人たちの風習などがわかって面白かったです。

さて次回は、その幕府の東蝦夷地直轄記録に関する記事を原始謾筆風土年表・資料編から紹介して、第七集をまとめたいと思います。

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 へつづく

 

 

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*1:いちぶ=一両の四分の一