源さんが行く105
どうも、しょうさんの息子のゲンです。
原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは
江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。
源さんによる幕府の東蝦夷地直轄記録を続けます。
寛政十一年(1799)の記録・東蝦夷地が幕府直轄地(上知)と決定・其の参
■五人の面々へ仰せ付けられれ候 御書き付けの由
「異国境御取締まり仰せ付けられ候。蝦夷地之内 山辺まで当分、御用地に相成り、その方ども 右仰せ付けられ候。これまで若狭守(松前藩主)右の地より年々収納の分は、公儀に従い松前若狭守に相渡し候よう
成り下され候に付き 右の場所は万端 その方ども指図任せ候よう
若狭守へ申し渡し候に付き その意を得られ、その地の様子も追々申し談じ候うえ見分これあり。
蝦夷地の教育の儀をはじめ風俗を替え候儀、ならびに交易の趣法まで存じ寄るにまかせ、開国御趣旨を含み服従致し候よう
第一に心得るべく候。
右御用の儀は、深き御趣意にして仰せ出でられ候儀にこれ有り候。
異国の事に候へば、その心得をもって銘々粉骨を尽くし、このたびの御趣意違わぬよう 進退差し引き精勤致すべく候。
右やむを得ずの事に候儀は、伺い取りはかるに及ばずと申され候。
御入用の儀は足らず候とも追々伺うべく候。」
(意訳)五人の面々に申し渡された書面の内容は、
―国境線の取り締まりを命じる。
「東蝦夷地を当面、幕府直轄地とするため、その方どもに右の任を命じたものである。
これまで松前若狭守が毎年収益を得ていた分は幕府から松前藩に下すので、右の場所経営に関しては万端、その方らに指図を任せるよう若狭守に申し渡してある。
その意を理解し、それらの土地に関する事柄については、追々相談し検分するように。
アイヌの習俗教育に関することと、交易に関することはその方らに任せるが、これらは開国のご趣盲を含んで服従させるよう、それを第一に心得よ。
右御用の命は、重大な趣意を含んでの仰せである。
異国のことなので各々粉骨を尽くし、このたびの御趣盲にたがわぬよう交渉、指導に精勤せよ。
以上のことに関して止むをえずの決断を必要とする時は、あえて伺いを立てる必要なしとの仰せである。
諸費用について不足がある場合は、追々伺いを立てるように。」
へつづく
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