こめいがねんど

むつ市大畑町と東津軽郡蓬田村から青森県の歴史や記録を紹介する歴史探求ブログ

源さんが行く179

  

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お世話になっております、シヨウX3です。

 

 原始謾筆風土年表(げんしまんぴつふどねんぴょう)とは

  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

文化元年、源さんの記録9です。

 

文化元年(1804)の記録・其の九 

十輪庵*1の堰のふちからカワウソの飛び込む音が響き渡り、東の方に走り抜ける姿はとてもすばしこかった。

このことから考えると、近くの古川べりで河童が飛び込むのを見たという噂は、もしかしたらこのカワウソの類かもしれない。

十輪庵の堰の角のあたりにハスの花が咲いたのは、大安寺二世の燈外祖伝の隠居所のあった頃からであった。

また三世の州関寿仁の隠居所は、水汲み沢から五十㍍ほど西側にあった。

そして一世紀近くも過ぎた文化年間の今、その辺りは一面の草むらである。

 

 享保十六年(1731)から心光寺の隠居所だった古道川と船橋川の間の、すなわち昔、伊勢堂のあったあたり、大通りの右側にあったが、そこも今では荏胡麻(えごま)畑に変わり、お月様だけが訪れる場所となっている。

盛岡の東顕寺堀の話として伝わっていることだが、カワウソが群れをなしていたという。

それほど群れるものかと私は驚いたものだ。

奥薬研上流の赤滝の南側、絶壁の道筋に四、五十匹のカモシカが連なって、そのうち一匹が崖から落ちて死んだという逸話も、強ち噓とは言い難いと思った。

カワウソも、カモシカも時期によっては群れるものらしい。

 

源さん、宿老を辞するの弁

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原文書き起こし

 

(意訳)

昨日まで出来たことが、今日は出来ないっていうことだってある。

鴫(しぎ)のくちばしが長いのも、イスカ*2のくちばしが上下かみ合わないのも、チェッチェ(マナガツオ)の口が小さいのも、アンコウの口が大きいのも、だからと言ってエサを食うのに困るわけではない。

この世はさまざまあってこそ面白いのだ。

 

安永八年(1779)から二十五年間にわたり大畑の郷保(宿老)職を務めてきたが、文化元年(1804)十月十三日、その職を退いた。

 

以上、文化元年の記録でした。

いや~中身の濃い一年でしたね。

象潟大地震があって、夫伝馬軽滅一揆なるものがあり、源さんの宿老辞職

意訳されてます佐藤ミドリ先生は辞職の原因は軽い中風(半身不随や手足のマヒ)だということなので、ちょっと体が不自由になったのが原因のようです。

源さんの体を心配されてる方もいると思いますが、

大丈夫ですよ、源さんはこの後20冊近くも書いてますから…。

 

第十二集/完

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

 

第四集の最初から読みたい方は

源さんが行く57 - こめいがねんど

 

第五集の最初から読みたい方は

源さんが行く72 - こめいがねんど

 

第六集の最初から読みたい方は

源さんが行く88 - こめいがねんど

 

第七集の最初から読みたい方は

源さんが行く99 - こめいがねんど

 

第八集の最初から読みたい方は

源さんが行く111 - こめいがねんど

 

第九集の最初から読みたい方は

源さんが行く129 - こめいがねんど

 

第十集の最初から読みたい方は

源さんが行く140 - こめいがねんど

 

第十一集最初から読みたい方は

源さんが行く160 - こめいがねんど

*1:大安寺通りにあった地蔵堂

*2:スズメより大きい小型の冬鳥。くちばしは上下くい違っていて、針葉樹の種子をついばむのに適する

源さんが行く178

  

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文化元年、源さんの記録その8です。

 

文化元年(1804)の記録・其の八

 

エトロフにおいて幕府御用船飛龍丸の錨の綱が切れかかり、錨の綱をつけ替えて下した時のことである。

端をどこにも繋がずに投げ入れてしまったため、そのまま海の底に消えてしまった。

底は間近に見えてはいたのだが、錨の落ちた場所だけは違っていた。

もしかしたらそこだけ千尋*1の窪みになっていたのかもしれない。

きっと魚がたくさん住み着いているところかもしれない。

さて、エトロフは五月初旬だというのに、土を掘るとその下は凍った大地である。

雪も降る。

木々の茂る土地なので、長雨の季節でも川水が溢れることはない。

夏は霧が立ちこめ、風も強く、海面はいつも波立っているが、三月まで川には鮭が上る。

遮穂亜の湖水には干満がある。

遮那(しゃな=地名)の礼文尻山や蘂泥(しべとろ=地名)の奥には、浅間山のような火山も温泉もある。

厚佐登(あつさのぼり=地名)や鶴粒登等の高い山があるが、賓寝別の滝は遠くから見ると那智の滝のようだ。

 

ところで紀州薗村の堀川八右衛門所有の船に友右衛門が乗り込んで、宝暦六年(1756)二月七日浦賀を出帆し、五月十七日この島の茂鎧へ漂着した。

七十貫目の錨三挺を捨てて、徐々に厚岸まで至って、小さな祠をひとつ発見した。

伊勢神宮のお礼もあって、大畑の飛騨屋「武川久兵衛」と書かれた棟札を見て、ここは日本なのだと初めて知ったという。

いずことも知れぬ遠い異国の地を漂流した者たちの心細さがそれによって救われたのは無理もない話である。

その頃はまだ、エトロフも、クナシリも、異境であった。

キリタップより先は、和船もまだ航行していない土地だったのである。

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 味噌、醬油、酢、酒等の作り方と、醸造に失敗したものを元に戻す方法を伝授するため、大坂からやって来た者がいた。

 

  

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

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第三集の最初から読みたい方は

源さんが行く39 - こめいがねんど

 

第四集の最初から読みたい方は

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第五集の最初から読みたい方は

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第六集の最初から読みたい方は

源さんが行く88 - こめいがねんど

 

第七集の最初から読みたい方は

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第八集の最初から読みたい方は

源さんが行く111 - こめいがねんど

 

第九集の最初から読みたい方は

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第十集の最初から読みたい方は

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第十一集最初から読みたい方は

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*1:ちひろ=非常に深いこと

源さんが行く177

  

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文化元年、源さんの記録はまだまだ続きます。

 

文化元年(1804)の記録・其の七

イシナギ*1という大魚の腹子(はらご)。

三十センチもあろうか、というものが木野部で見つかった。

翌年はその倍のものを拾ったらしい。

腹龍*2は芥子粒ほど微小なものなので、これらが皆育ったら蒼い海を埋め尽くすだろう。

この魚、佐井でよく獲れるが、その肝臓には毒があるとか。

  

舌休という旅の講談話に聞き入った。

語られたのは三国志~中国・江蘇省の淮陰*3公と呼ばれた韓信*4は、一時の屈辱に耐え、後に天下統一に貢献し楚王となったが淮陰侯に降格された。

また諸葛孔明の作戦の思うままとなった「死せる孔明、生ける仲達を走らす」*5という故事。

一人の人間の悔いや畏れが世界を揺り動かす力になるということなのか。

我が国では平将門の十握(とつか)の剣のエピソード、そして藤原秀郷の三上山ムカデ退治の話。

西園寺実衡(さねひら)と源頼朝を評価するしないは吉彦秀武上総広常(かずさひろつね)に関わり、また和気清麿円心子胥(ししょ)、范蠡(はんれい)、それぞれの忠義の示し方に品格があると論じた。

武田信玄が戦で用いたとされる諏訪法性兜、織田信長が軍旗に用いた「南無妙法蓮華経」の旗も大坂の野田・福島の戦いで苦戦、本能寺の変に至ったとつなげた。

仲達は〇巾の恥ずかしめに星を避けるべきかとその進退を問うた。

上杉謙信鶴岡八幡宮成田長康を敲(たた)き、織田信長明智光秀を軽んじ、兼松又四郎伊達政宗を扇で打った事件についても語った。

高倉の宮源融公、藤原実方茶坊主の類の落馬事件もそれぞれ意味があると論じた。

治承四年(1180)に源頼政平氏打倒を掲げて旗揚げしたのは、勝敗には関わりなく、平氏の悪行が度を超えて許しがたく、源氏一族の眠りを醒まさせようとしたものだった。

そして、歴史に名を残したのである。

この夜の講談は言葉の花を思いっきり咲かせて、夜遅くようやく終わった。

 

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最初から読み直したい方は

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第十集の最初から読みたい方は

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第十一集最初から読みたい方は

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*1:スズキ科の硬骨魚。大型で全長二㍍。夏が旬で美味。萓草に大量のビタミンAが含まれており、食べると中毒を起こす恐れがある

*2:はらご=腹子

*3:わいいん=地名

*4:かんしん、青年時代に淮陰の町なかで不良に因縁をつけられ股くぐりをさせられたが忍耐した。後に高祖劉邦に従い大将軍に取り立てられた

*5:蜀の諸葛孔明と対陣していた魏の仲達が、孔明の死を聞いて蜀軍を攻撃したところ、反撃にあい孔明の死を謀略と思って退却した

源さんが行く176

  

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文化元年、源さんの記録を続けます。

 

文化元年(1804)の記録・其の六

■四文銭(しもんせん)はこの辺りでは出回っていない。

二朱銀はこの頃から出回る。

 

四文銭とは、寛永通宝のうち1768年以降に鋳造された真鍮銭(しんちゅうせん)。

普通の寛永通宝より大きく裏に波紋があるので波銭とも呼ぶ。安っぽくて軽い。

銭形平次が投げた技に使ったのがこの四文銭である。

 

南部藩主利敬公が四品*1を叙勲。

その祝賀の使者が藩内を廻った。

大畑では百貫文と、各家々へ酒三合を賜った。

そして屋形(やかた)*2を称することができるようになった。

 

寛政十一年(1799)十一月に始まった南部家の蝦夷警衛は、ここに至って労苦が報われ、大名の頂点に位置する国持大名に列せられたことは、同家にとって未曽有の慶事であった。

国持大名とは、一国以上を領有する大名もしくは四品に叙せられてこれを称する者であった。

江戸時代①前田(加賀・能登越中)②松平(越前)③嶋津(薩摩・大隅)④毛利(長門・周防)⑤伊達(陸奥・仙台)⑥細川(肥後)⑦池田(因幡伯耆)⑧鍋島(肥前・佐賀)⑨黒田(筑前)⑩浅野(安芸)⑪池田(備前)⑫佐竹(出羽・秋田)⑬上杉(出羽・米沢)⑭山内(土佐)⑮松平(出雲)⑯藤堂(伊勢・津)⑰有馬(筑紫・久留米)⑱蜂須賀(阿波・淡路)を国持十八家、宗(対馬)、南部(盛岡)を加えて国持二十家と言った。

国持大名になると、幕府の処置が著しく変化する。

位階が五位であれば、位記*3高家が代理受納し、後に幕府を通して与えられた。

一方、四品の者は各自が使者を立てて朝廷から受納した

インターネット資料【古文書を旅する】より

 

津軽藩主九代寧親(やすちか)公も、七万石格に昇格した。

 

津軽藩蝦夷地警護の功績により四万六千石から七万石に高直(たかなお)されたのは文化二年(1805)であり、源さんの記録とは一年のズレがあります。

しかし、一連の関連事項としてここに記したものであろうと解釈します。

津軽藩のこの高直しに不満を抱いた南部藩利敬蝦夷地永久警護を条件に高直し運動を行い、南部藩は文化五年(1808)十万石から二十万石に高直しされ、藩主は侍従に任官されます。

同じ日に弘前藩も十万石に高直しされます。

そして藩主利敬の死去後、受け継いだ南部藩主は無位無官だったため津軽藩主との関係を危惧した南部藩士の津軽藩主襲撃未遂事件、相馬大作事件まで起こります。

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第十一集最初から読みたい方は

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*1:しほん=正四位従四位の総称

*2:室町時代に許されて大名などが称した。この称号を得なければ、家臣に烏帽子、直垂、素襖などを着用させることはできなかった

*3:いき=叙位の旨を記して天皇が授与する文書

源さんが行く175

  

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  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

今回は源さん達が田名部代官所に訴えた背景をもうちょっと詳しく原始謾筆風土年表・資料から紹介します。

 

資料・「北奥庶民への重い負担/下北の一揆蝦夷地警備」  

 文化元年九月、大畑町検断から田名部代官所に訴状があげられた。

 

その要旨は、寛政十一年以来、蝦夷地に渡海する役人のために人馬ともに努め、莫大な費用を負担したので難渋している。このままでは沿道村々の存続もおぼつかない。そうなったら御上の御用にも差支えが出るのではないかと苦衷を申し述べ、次いで箱館奉行ら諸役人の通行による難儀の有様を具体的に記している。

蝦夷地往返の公私役人の昼夜を分かたない通行、御用物の持ち送りのため正月から五月まで数千の人馬で粉骨を尽くし、家業も顧みないで心労の務めを果たしてきた。

そのうえ、いま箱館奉行交替に当たっては二日前に中野沢に詰め、それより佐井まで持ち送りし、帰府の時は佐井へ詰めて横浜までの持ち送りをしなければならない。

早春からの御用で人馬の疲労は甚だしく、このたびの務めもままならないのは、千万嘆かわしいことである。

 

このように述べて、今後、奉行交替のときは遠方への出張(人足)はとりやめて、大畑から佐井までの御用だけにしてほしいと嘆願している。

文中、大畑と異国間の間は他郷にない難所であるとも記している。

そして、次に重大なことを記している。

 

もし北通(関根から牛滝まで)の「御通行筋」の村々が田名部通全体の難儀と考えず、自分たちだけが特別に難渋していると思い詰めて「帰服」しないならば、「御大切の御用の場に至り候て、不弁(わきまえぬ)に相成り候ては不安なる御事に存じ奉り候」というのである。

 

大切な場所で「不弁」になることを心配しているという意味以上に凄みのある文言のように読みとれる。まるで一揆の予告のように思われる。

 

 この訴状一件は、「夫伝馬(ふでんま)軽滅一揆と呼ばれている田名部通で最初の民衆行動であった。

富岡一郎「上北・下北の歴史」郷土出版社

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文化元年の記録・第6回、訴状のつづきです。

 

文化元年(1804)の記録・其の伍

恐れながら願い上げ奉り候こと(3) 

 

一つ 

大畑から下風呂へ行く場合は、通しで、途中の継立を行っておりません。

下風呂方面から来た場合の人馬の継立は一日から十日までが赤川村、十一日から三十日までが木野部村が行っております。

しかし、人夫についてはそのように実施してまいりましたが、両村には馬が一頭もいないので、やもう得ず大畑より詰め馬*1してまいりました

そのため、お役人が異国間から出立される場合には間に合いますが、下風呂から出立される場合には赤川において大畑からの詰め馬が間に合わないこともあり苦慮致しておりました。

今後は、大畑からの詰め馬については両村の当番日に関係なく、下風呂出立の方々には木野部の部落で継立をしていただきたく存じます。

なおまた北通りの御配符*2には、特にきちんと「休む」「泊る」を書き記して下さるよう以前からお願いして参りました。

近年、大畑と下風呂の村境の問題からなにかと助け合いにヒビが入り、もしも何かあると御用に差し障りが生じかねないと気をもんでおります。

百姓どもが仲良くむつみあって御用を勤めさせたいと存じます。

どうかこの隣り合う村のいさかいをやめさせて、和合し服従するように、お取り計らい下さるようお願い申し上げます

以上

 

九 月  検 断 (竹内)伝右衛門

     宿 老 (堺)忠兵衛

     宿 老 (村林)源助

 

井内 平作 様(田名部代官)

三 輪 左司 様(  同  )

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第五集の最初から読みたい方は

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第六集の最初から読みたい方は

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第七集の最初から読みたい方は

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第八集の最初から読みたい方は

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第九集の最初から読みたい方は

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第十集の最初から読みたい方は

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第十一集最初から読みたい方は

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*1:馬を出すこと

*2:代官所からの割符

源さんが行く173

  

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  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

文化元年の記録・第5回、訴状のつづきです。

 

文化元年(1804)の記録・其の伍

恐れながら願い上げ奉り候こと(2) 

 

一つ 

蝦夷奉行様や幕府御役人様と同様に、当南部藩のお役人やその他の方々が蝦夷地へ往復に乗船する船が何艘にもなっております。

大畑から佐井までどの湊に入港するのかは測りがたい状態です。

もちろん何か事が起こりました時は申すまでもなく、蝦夷地へ廻航する御用船の多いこの時節でございますので、それぞれの湊には数艘が風待ちして停泊、人夫もそれぞれの湊に待機致しますから、隣りあう村々で見継*1して助けあっております。

達者なものを選りすぐって中野沢や佐井に待機させております。

しかし、その日数がかさみ、風待ちのほかに何らかの理由で思いがけない着船のあった折には、残る非力の者たちだけでは万全という訳にもまいりません。

お役人様方の引き船や荷物の扱い等に差支えが生じては不行き届きのお叱りを受けること必須と存じます。

そうなりましては申し開きのすべもなく、恐れ入る次第でございます。

何とぞお奉行様交替の折には大畑から佐井までの各駅伝馬の中継点の村の者に、よその土地での待機という役目はなくして、自分の村にいてその日一日限りの御用をうけたまわるというようにして頂きたいのです

その場合、私どもは隣村との引継ぎが支障のないよう取りはからいます。

もちろん、よその土地の人馬が当地に待機する場合もあります。

しかし、その土地の状況をよく知らなくては土地の者ほどには行き届かないことでございましょう。

待機の人馬は遠路をやって来ては疲れもたまります。

日数や費用については別段変わりありません。

前途の通り、大畑では正月以来、数千の人馬がお務めを果たして参りました

御支配所*2に毎月提出している「人馬書き上げ帳」に荷添え、添え馬のほか、風雨でお役人が逗留のために木野部や赤川の詰め馬が不要になり戻った場合も記録に残していただきたく存じます。

大畑から易国間に至る道は大変な難所でございます。

この件に関しては、このところ毎年のようにお願いして参りましたが、ご返事を頂いておりません。

毎月の「人馬書き上げ帳」の各村々の状況を見比べ、ご検討頂きたく存じます。

とりわけ、これまでと違い、毎年毎年の蝦夷奉行様のご交替となりますので、この辺りの村々の負担はしのぎがたいものになってまいりました。

代官所が、この辺りの者どもが難儀していることを受け止めていただかないと、この界隈の村々の者がその負担に耐えかね、その命令に従わなくなるやも知れないと懸念致しております。

大切な御用の場面でわきまえのない事態が生じるやもしれないと心配致している次第でございます。

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訴状は次回へも続きます 

 

最初から読み直したい方は

源さんが行く01 - こめいがねんど

 

第二集の最初から読みたい方は

源さんが行く14 - こめいがねんど

 

第三集の最初から読みたい方は

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第四集の最初から読みたい方は

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第五集の最初から読みたい方は

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第六集の最初から読みたい方は

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第十一集最初から読みたい方は

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*1:みつぎ=世話

*2:代官の管轄区域

源さんが行く172

  

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  江戸時代の下北地域の政治・経済・文化を、近江出身で大畑にて商業に従事した村林家の二代目源助(通称)によってまとめられた記録です。

 

文化元年の記録、第4回目です。

 

文化元年(1804)の記録・其の四

恐れながら願い上げ奉り候こと 

寛政十一年(1799)二月、蝦夷地の御用が発生して以来、幕府のお役人が大勢おいでになり、また当南部藩のお役人が三月下旬より六月末まで大畑に滞在致しました。

その後八月から九月まで公私のお役人が大畑に詰め、連日、人馬御用を命じております。そのため村方の出費は莫大で難儀しているとしばしば申し上げて参りましたがお聞き届けがありませんでした。

やもう得ずやり繰り致して、支払いを済ませて参りました。

物屋どもに協力してもらい、お世話致して参りました。

その頃もこれという措置はなく二、三年様子を見て参りました。

何らかの補助をすべきという配慮があるかどうかお伺いしたいものです。

もちろん永久に続く御用の仰せではありませんので、なるべく出費を少なくと努めて参りましたが、人馬の消耗は大変なものです。

昨年からは一年中の御通行となり、これまでと同様であれば村々は対応しかねる状態になっております

村人たちがこの村から離散するようになっては御用にも差し障りが生ずると懸念致して、次の三点についてお伺い申し上げる次第でございます

 

一つ 

お役人様が通られる道筋の伝馬駅の村々は大畑に限らず、お通りの前後は昼夜を問わぬ忙しさです。

正月から五月まで数千の人馬が、難渋しながらも骨身を惜しまず農業も顧みない状態で辛抱致し御用を勤めて参りました。

その日一日だけの御用で村へ帰れるうちは申し上げにくく、粗食に耐えて過ごしておりました。

そうこうしているうちに、蝦夷奉行様交替の折には大畑から中野沢まで出向き前々日から待機して、そこから佐井まで運搬し、お奉行様が江戸へ帰られる時には佐井まで出向いて待機し、そこから横浜まで運搬しなければなりません。

春早々から疲労困憊しきった人馬ではもうどうにもならず、嘆かわしい状態でございます。

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次回へ続く 

 

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